蓋が、ひらく




 

地方へ向かう電車の中、先程から隣りに座る女の視線が痛い。

2,3の駅を過ぎてから、その視線に気付いてはいたが、

気味が悪いので知らぬ振りをしていた。

しかし、ついにはそうもいかなくなったようだ。

「ねえ、あなた…門倉大輔でしょう?」

「…そう、ですけど」

「やっぱりぃ!ねぇ、私の事、覚えてる?」

そう言われて、先程までと視点を変えてまじまじと女を見て見たが、

記憶の中に当てはまる人物はいない。

「…いや、全く」

少しはめげるかと思ったが、女は全く気にした風もなく、

むしろ当たり前の回答を得た顔をしてうなずいた。

「やっぱりね。で、あなた、ダレ?」

「はぁ?」

思わず出た。それはこっちが聞きたい台詞だと思うが。どう考えても。

「私さあ、あんたの名前と顔は一致すんのよ。

でも、どこで見たのかさ〜っぱり思い出せないのよねぇ」

「はあ」

「どこだったかなあ…」

と言って女は考え始めた。

相変わらず、関わりたくもないので放っておいて

窓の外の景色を流れるまま目の中に放り込んでいた。

放って置くこと事しばし数分。

女ははっとしたようになり、そしてちらっとこちらを向いた。

「もっと恐ろしいコトに、私、あんたの嫌いな食べ物まで言える気がする」

これには思わず体が後退する。

「ちょ、ちょっと、引かないでよ!そんなこと覚えてる私の方が不気味だって感じてるんだから!」

それはそうだろうな。

知らず相手の感情にリンクしてしまっていた。

それはきっとこの女があまりにも取り繕う事なく感情を表情にだすからだろう。

「で?」

「ああ。あんたの嫌いな食べ物って茄子でしょう?」

「…確かにそうですけど、随分古いデータですね」

「え?そうなの?」

この、あまりにも間抜けな会話はなんなのだろう。

しかし、確かに俺は茄子が昔から嫌いだと言うのも事実だ。

あの何とも言えない触感は苦痛と言う以外の何ものでもないと思う。

しかし、年齢的にそうも言ってられず、そうこうしているうちに平気になった。

人間、慣れというありがたいものがあるものだ。

そしてこの件に関していえば、あいつの力も少なくない。

あいつはこれが好きだったから。

ぼうっと忘れ去っていた記憶が甦る。

心のどこかで現実に背こうと閉めていた蓋が少しだけ開いた気がした。

そんな気持ちなどお構いなしに、女の詮索は続く。

「うーん。なんだろ。なんか違和感あるのよねー」

そこで女は手元にあった雑誌をちらりと見て、

「…写真?」

と呟いた。何の事か検討もつきやしない。

「うん。あなたの事、写真でみたんだ!

データも箇条書きでしか浮かんでこないし」

「あなた、芸能人かなにか?」

「…そう見えますか?」

「全く見えないわ」

考える間もなく即答。

それはそれでいい気分でもない。

「ねえ。あなた、なんか思い当たる節とかないの?」

そう言われてもさっぱりだ。

さらに言うなら、思い出そうという気もない。

「別に無理やり思い出さなくても・・・」

「だって気分悪いじゃない!私、嫌なのよ。こう、思い出せないのって」

「はあ」

そんなもんだろうか。

思い出せないならそのままでもいいじゃないか。

ところが、女にとってはそうもいかないらしい。

自分はよく変わっていると言われるが、この女もかなりの変わり者だと思う。

隣で、女はひたすら考え続ける。

今は何を置いてもこの問題が一番大切だというように。

そして、答えを導き出す。

「思い出した!」

一気に現実に引き戻された。

「…そっか。はは。だから思い出せなかったんだ」

一人で納得されても困る。

答えがあるなら知りたくなるじゃないか。

「気ぃ、悪くしたらゴメンネ。あなた、私の従姉妹の好きな人だわ」

「従姉妹?」

「そう。2つ下だった。可愛くて。仲良かったのよ。その子がね、

中学生の頃かな。打ち明けてくれたの。聞き出すの、大変だったのよ。

恥かしがり屋だったから。私とは正反対だった。それでね、そのやっと

聞き出した相手がね、あなた」

軽く指差すように、真直ぐに視線を向けて女はこちらを向いた。

中学生の頃なんて遥か遠いことのようだ。

「ほら、中学生とかって好きな子の事ならなんでも知りたがる年頃じゃない?」

どう反応すべきか困って、言葉を投げかける。

「そんなもんかね。でも、なんで思い出せなくて当たり前なんだ?」

その言葉に、女は一瞬はっとし、それから言った。

「私ね、なるべくその子の事、思い出さないようにしてんの」

「なんで?」

「悲しくて、悲しくて、壊れちゃうから」

変わらずに、軽く笑って、ふと外を見た女は告げた。

「さてと、んじゃ、私は次で降りるね。結構楽しかったよ。

久々にあの子にも会えた気がするし。ありがとね」

「あ、あの」

「?」

「その子の名前って…」

「ああ。牧瀬。牧瀬 唯。もう…ね、いないんだ。…その子。

私が外国行ってる間に死んじゃった。病気であっけなく。

帰って来るまで知らなかったの。私が連絡取れる状況じゃなかったから。

情けないったらなかったわよ。なんでそんな大事な時に

側にいてあげられなかったんだろうって」

電車が駅に到着した。

女はもう行かなきゃと呟いて少し悲しそうな顔で言った。

「んじゃね」

「・・・っ」

引き止めようかと思ったが、体が動かなかった。

声が、でなかった。なんという偶然。なんという奇跡。

「お前が引き合わせてくれたのか?」

苦笑する。

「なんだよ・・・今更」

俺が声を掛けるまで、俺のこと知らなかったって言ってたじゃないか。

嫌いな食べ物があるといった時、初めて知ったと笑って言ってたじゃないか。

「・・・嘘つき」

思いがけず、涙があふれそうになって。軽く笑って呟いた。



あいつの声が、よみがえる。

「裕子はね。すごいのよ。一人で何でも出来ちゃうの。私とは正反対。あなたと一緒。

でもね、弱いところもあるのよ。堅く蓋を閉ざしちゃうの。そしてね、私が開けるまで

待ってるの。そこもあなたと似てるかもね。だから私は、いつでも傍にいるのよ」

「裕子には一度会って欲しいなあ」

「だって、二人共私の大好きな人だもん」



今度、久しぶりにあいつに会いに行こうか。

墓の前で、笑って報告してやろう。

そして、お前が会わせたいと言っていたお前の従姉妹を訪ねて、

いろいろ話をしてみてもいいかもしれない。

今度はちゃんと自己紹介して、

お互いの知らないお前と過ごした時間を比べてもいいかもしれない。

閉ざした蓋を開けてみてもいいかもしれない。



だって、それをお前は望んでいたんだろう?


HOME BACK