滅多に読みもしないくせに、ふと思い立って手に取った短編集。
そこに出てきた樹が妙に印象的で、いつまでも覚えている。もう何年も前のことだ。
何も何もない土地に、その樹はあると本にはあった。
もう、ストーリーすら覚えてはいないのにその言葉だけが妙に残っている。
ただただ広がる大地の上に、何年そこにいるのだろうかと考える。
気がつくと、いつしかその樹は文章を離れて私のものとなっていた。
何もない場所とはどんな場所なのだろう。
その木の命を思い、一人で生きては行けないと心から思う寂しさなのか、
せめてその木が輝かしくあるよう、イメージの中で色を与える。
黄金の世界と青い幹。特別だと願うが故か自然とそうなった。
さらには何もないと知りつつ、何かがいる余地を与えたくて
葉を茂らせ、枝を渡し、奥行きを与え、影を与える。
そうすれば見えない場所で鳥の一羽でも虫の一匹でも隠れることができないだろうかと考えたからだ。
生活の中でふと思うその樹はいつの間にか少し意識するだけで
リアルに自分の中に存在するようになった。
電車の中、食事中、仕事の休憩中、友人たちとの会話の最中にでさえ、いつでもひっそりと現れる。
その樹は青く、現実にはあり得ない。四季も時間も関係ない。
それが心地よかったのかも知れない。
せわしない生活の中の私の居場所だったのかもしれない。
唯一無二の友人の様だった。
そんなある日、いつもの様に何気なく開いた雑誌の中に、小さく記載された一枚の絵の写真を見た。
それはあまりにも自分の中の友の姿と似ていて、やっと出会えたかと思ったほどだ。
ぽつんと、何もない大地に根をおろし、堂々と「自分はいるのだ」と主張する。
けれどもやはり、その絵の中にその姿を見るものはない。
どこまでも孤独に立ちはだかる。
こうして描かれても、世界と現実は切り離され誰も立ち入る事はできない。
きっと、この絵の前に何人もの人が立とうとも、この樹は静寂を保つのだろう。
出会えた事がうれしく、また、その事実が悲しかった。
けれど、この樹はもうその存在を認められたのだ。
そう、思った。
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